参考に・・・

アプサラス 2004/6/28 23:13
-------------------------------------------------------------------------------- 作馬六郎さんがラケットを握るのは年に1回あるかないか。指導はほとんど「口だけ」という=阿倍野区王子町3町目の「王子卓球センター」で  阿倍野区王子町の商店街で青果店を営む作馬六郎さん(64)は、夕方になると店を閉め、ある場所へと急ぐ。行き先は、すぐ近くの「王子卓球センター」。4台の卓球台を見渡せる入り口付近のベンチが定位置だ。卓球好きな作馬さんは、センターにやって来る中高生を指導するのが楽しみなのだ。このおっちゃんが、アテネ五輪出場を決めた「愛ちゃん」こと福原愛選手(15)=ミキハウス=の必殺技「王子サーブ」の生みの親である。  作馬さんは熊本県の出身。中学を卒業し、17歳のとき集団就職で大阪の繊維問屋で働くことになった。その後、青果店に転職。19歳のころから近所の王子卓球センターに通いはじめる。当時は娯楽もなく、卓球は大人気。順番がまわってくるのを首を長くして待つ日々だったという。  とはいえ、特別な指導を受けたわけではない作馬さん。どうしてもうまくなりたいと、本や雑誌を読んでは研究した。結論は「相手がとれないサーブを打てばいい」。  工夫を重ねてあみ出したのが、ボールを高く上げ、ラケットをテニスのように振りかぶって縦に振るサーブだ。スクワットの要領で体重を上下移動することでボールの威力が強くなり、しかも相手コートで変化する。  このサーブをマスターした長女の孝子さんは中学2年のとき、全国大会初出場で初優勝という快挙を成し遂げた。  最初は特に名前はなかったが、作馬さんがサーブを伝授した教え子たちが次々と全国優勝を果たすうち、新聞や雑誌が「王子卓球センターで生まれた王子サーブ」と取り上げ、いつのまにかその名が定着した。  愛ちゃんとの出会いは6年前。うわさを聞きつけた父親の武彦さん(61)が、王子サーブの指導を依頼してきた。  「実力がない人間だからこそ、苦肉の策でこのサーブが生まれた。あんなに上手な子に教えることはない」と何度も断ったが、「オリンピックで勝つには、どうしても王子サーブがいる」と武彦さんは粘った。  愛ちゃんは約1カ月で、実戦で王子サーブを使えるまでに上達した。だが、王子サーブを覚えると、その威力に頼って何度も使う子が多いなか、愛ちゃんは1試合のなかで数本しか使わない。  最近の試合で一番多く使ったのは、オリンピック予選の決勝リーグ。世界選手権3位の金雲美選手(北朝鮮)との対戦で、繰り出した王子サーブは計8本。終盤の苦しい局面で連発した。  「緊迫した状況で使うと、失敗することが多い難しいサーブです。しかし、愛ちゃんは逆に勝負どころでしか使わない。すごい精神力やと思います」と作馬さん。  年齢のこともあり、今年の年賀状には「4月で卓球は引退する」と書いた。ところが「愛ちゃん効果」か、高校の卓球部からも指導を依頼され、教え子は増える一方。しばらく引退はお預けだ。

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